珍しい車です。
私自身この車に全く知識がないものですからウィキペディア(Wikipedia)から情報を拝借して皆さんにお伝えいたしますね。
フィアット・1800/2100/2300はフィアットが1959年から1969年まで生産した中型乗用車である。1950年以来生産されていたフィアット1400/1900の後継車種として登場した。
ピニンファリーナの創業者・バティスタ・ピニンファリーナの手によるそのボディデザインは、同時期の彼の作品であるプジョー404及びオースチン・A55との類似点が多く、この時代の4ドアセダンのデザイン上のトレンドセッターとしての役割を果たした。
また、1800-2300ccクラスの量産車であるにもかかわらず、元フェラーリの主任技術者、アウレリオ・ランプレディによって新設計された、ダブルロッカーアームによるクロスフロー弁機構と多球型燃焼室とを併せ持つ、複雑で高性能な6気筒OHVエンジンを採用した点が特異であった。
2300(1961-69年)
2100のエンジンを2279cc105馬力に拡大し、ヘッドライトを4灯式としたモデルで、1800Bと共に1961年に登場し、後継車として130が登場する1969年まで生産された。ブレーキも4輪ディスクブレーキに強化された。1966年にはそれまでの自動クラッチに代わり、フィアット車としては初めて自動変速機がオプション装備可能となった。。カーグラフィック誌1963年5月号に掲載された小林彰太郎氏による2300の試乗記では、0-400m加速18.3秒を記録し、「スポーツカー用高性能ユニットのようにスムーズに回転が上がる」エンジンの「驚異的な高性能」ぶりと「スムーズで静粛」なこと、「異例に完備した室内装備」が賞賛された一方、「乗心地は相当硬い」「ダッシュボードはいささか旧式な米車流に装飾的であり過ぎる」「位置が高く非常に大径なステアリングホイール」など、発売以来4年以上経過したことによる旧態化も指摘されている。
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