2017 8.24
車両内容
DATSUN 510 WAGON
珍しい北米仕様の510ワゴンです。
ご興味ございましたら、詳細をお問い合わせ致しますので、お気軽にお声掛け下さいませ。
*2017.8.20現在の為替レートにての価格表記となります。
*お問い合わせいただいた際に、車両が売却隅の際はご了承下さいませ。
*その他ご不明な点などございましたら、まずはお気軽にお問い合わせ下さいませ。
以下Wikipedia抜粋
3代目 510型系(1967年 - 1972年)
ブルーバードの歴代シリーズの中で後の910型と共に、大きな成功を収めたモデルである。
1966年にはダットサンのエントリーモデルとして、1.0Lクラスの大衆車、ダットサン・サニーが発売されていたことから、
ブルーバードは1.3L以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。当初のボディタイプは2ドア / 4ドア
セダン、4ドアワゴン / 4ドアバンの4種類。社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの
深いシャープなデザインとなった。従来装備されていたフロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省略され
た。
メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。
後にスカイラインやフェアレディZに搭載されるようになるL型と呼ばれる新開発のエンジン水冷直列4気筒 SOHCの
L型を搭載しており、量販モデルである1.3LのL13型と、上級モデルとして1.6LのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポー
ツ・セダン)」のラインアップだった。サスペンションは日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:
セミトレーリングアーム)を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には直前に日産と合併されていた
プリンス自動車が「グロリア」後輪のドディオンアクスルに使用していた「ボール・スプライン」の技術を利用している。
日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造なが
らデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。
日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との
評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて北米市場でヒットした日本車とな
った。当時の米国では高校生が初めて乗るクルマとして人気を博し、その世代の米国人にとっては思い出深いクルマだ
という。続いて開発された初代フェアレディZと共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在と
いえる。
- 1968年11月 - コロナハードトップに対抗した2ドアクーペを追加。本車種のクーペとしては最初で最後の3連リレー式ウインカー(「流れる」テール)が採用される
- 1969年9月 - 一部改良。北米の安全基準に合わせ、衝撃吸収ダッシュボードを採用、インパネ形状も変更[3]。ラジオアンテナはAピラーへ移動。
- 1970年9月 - 一部改良。フロントグリル、リアコンビネーションランプ[注 7]を再度変更[3]。直列4気筒SOHC L18型 (1770cc) を搭載した1800SSS発売。1.3L → 1.4Lへ拡大。4ドアセダンGLを追加。
- 1971年9月 - ブルーバードU(610型系)の発表に伴い車種整理。1800cc車とクーペを廃止、セダン1.4L/1.6Lの廉価グレードがメインとなり、「幸せの1400」のCMキャッチフレーズで610型系との併売へ。グリル周りは樹脂パーツを多用して610型系と類似したいかついデザインに変更された。テールランプとウインカーが独立したタイプを選ぶことができるようになった。最終期にはスモールランプも独立した。SSSは出力強化(100馬力
→ 105馬力)、フェンダーミラーのブラック化、革巻き風ステアリングの採用なども実施[3]。この時期に至っても市場からの人気は高かった。
- 1972年12月 - 510型系生産終了。
|